埋み火の
消えぬる宿の
あさぼらけ
雪ふみわけて
訪ふ人もなし
埋めておいた火も
すっかり消えてしまった宿の
夜明け方に
降り積もる雪を深く踏み分けてまで
訪ねてくる人も誰もおりません

この歌に詠まれておりますのは、冬の夜明け、凍てつくような静寂と、深々と心に染み入る孤独の情景でございますね。
夜通し埋めておいた火種も、いつの間にかすっかり消え果て、宿には何の温もりも感じられません。
その灰色の朝ぼらけに、窓の外を見やれば、降り積もった雪がどこまでも広がり、その道をわざわざ踏み分けてまで、訪ねてくる人の姿は、ただの一人も見当たらないのでございます。
そこには、物理的な寒さだけでなく、心の奥底に宿る寂寥感が、ひしひしと伝わってまいります。温かさの喪失と、人との交流の途絶という二重の孤独が、この歌の静かな調べの中に、深く響いているように感じられます。

この歌は、藤原定家が編纂に深く関わりました『新古今和歌集』に収められております。新古今集の時代は、平安から鎌倉へと移り変わる激動期でございまして、定家自身も、公家社会の複雑な人間関係や、時には政治的な波乱の中で生きておりました。
定家が詠んだこの一首には、単なる冬の朝の情景を超え、作者の内面が静かに投影されているように感じられます。
「埋み火の消えぬる」という表現は、かつての栄華や温もりが失われゆく世の移ろい、あるいは作者自身の心境の冷え込みをも暗示しているのかもしれません。そして、「訪ふ人もなし」という結びは、世俗との隔絶、あるいは深い孤独感を象徴しているように思われます。
新古今集が追求した「幽玄」「妖艶」といった美意識は、このように、目に見える情景の奥に潜む、はかなさや寂寥といった心の機微を、静かに、そして深く表現することにありました。この歌もまた、冬の夜明けの静けさの中に、人間の存在の根源的な孤独を、しみじみと語りかけているのではないでしょうか。