古里の昔の跡をたづねれば
草葉にのこる露の面影
故郷の、過ぎ去った昔の面影を訪ね求めますと、
草葉に残る露のきらめきに、その面影がはっきりと浮かび上がって見えるのです。

この一首は、失われた時への深い追憶と、それが現代に、いかに繊細な形で息づいているかを静かに描いておりますね。故郷の、かつて栄え、あるいは大切な日々が刻まれた場所を訪ねますと、そこにはもはや往時の面影は無く、ただ草葉が茂るばかりです。しかし、その草葉の先に宿る朝露のきらめきの中に、ふと、あの頃の面影が、まるで幻のように揺らめいて見える。それは、はかなくも美しい、過ぎ去った記憶の残滓でございます。定家卿の繊細な感性が、消えゆくものへの郷愁と、その儚い美しさを露に重ね合わせ、しみじみと表現されているように感じられます。

藤原定家卿は、平安末期から鎌倉初期という、時代が大きく変遷する激動の時代を生きた歌人でございます。その生涯は、政治的な混乱や自身の家系の存続をかけた厳しい状況の中にありました。この「風雅和歌集」に収められた一首は、単なる故郷の情景を詠んだものに留まらず、過ぎ去った時代の栄華や、失われた人々への追慕、そして何よりも、移ろいゆく世の無常観が深く込められているように思われます。かつては華やかであったであろう「古里の昔の跡」も、時が経てばただの草むらとなり、その中にわずかに残る「露の面影」に、定家卿は過去の儚い美しさを見出そうとされたのでしょう。それは、消えゆくものの中にこそ宿る、一瞬の輝きを捉えようとする、定家卿独自の「幽玄」の美意識と、深い「有心」の情が凝縮された歌でございます。はかない露に、永遠にも似た記憶の残像を見るその眼差しは、現代を生きる私たちにも、静かに語りかけてくるものがあるのではないでしょうか。