水無月の空にひびくやほととぎす
雲の絶え間に声の聞こゆる
水無月(旧暦6月)の空に響き渡る
ほととぎすの声でしょうか。
雲の切れ間から、その声が聞こえてまいります。

この歌は、旧暦六月、すなわち水無月の澄み切った空に、ほととぎすの鳴き声が響き渡る情景を、静かに、そして情感豊かに描き出しております。雲の間に隠れて姿は見えなくとも、その声だけが確かに届く。夏の盛り、生命の躍動を感じさせる一方で、姿の見えぬ声に、どこか物寂しさや、はかなさをも感じさせる一首でございますね。ほととぎすの声は、古くから夏の訪れを告げ、また過ぎ行く時を惜しむ、日本人の心象風景に深く根ざしたものでございます。この歌もまた、その伝統を踏まえつつ、崇徳院ならではの繊細な感性で、一瞬の情景を永遠のものとして心に刻みつけるような趣がございます。

崇徳院は、保元の乱によって讃岐へ流され、非業の死を遂げた悲劇の帝として知られております。しかし、その生涯は政治的な波乱に満ちたものでありながら、和歌の世界においては卓越した才能を発揮され、多くの優れた歌を残されました。この歌は「新勅撰和歌集」に収められておりますが、一見すると夏の穏やかな情景を詠んだものに過ぎないように思えるかもしれません。しかし、崇徳院のその後の運命を思う時、この歌に込められた「声」の響きには、単なる季節の風物詩を超えた、深い孤独や無常観が静かに宿っているように感じられます。雲の絶え間から聞こえるほととぎすの声は、届かぬ思いや、遠い故郷への郷愁、あるいは来るべき運命を予感させるかのような、胸に迫る響きを持っているのではないでしょうか。彼の歌には、人生の苦難を乗り越えようとする、あるいは受け入れようとする、静かで強靭な精神性が息づいているように私には思えるのです。