草の露こぼれんとしてふるへつつ
風のまにまに消えゆくものか
草の葉に宿る露が、今にもこぼれ落ちそうに震えながら
風が吹くままに、やがて消え去ってしまうものなのでしょうか。

この歌は、草の葉の先に宿る一滴の露が、まさにこぼれ落ちようと、はかなく震えている情景を描き出しております。そして、その露が風の吹くままに、いつしか跡形もなく消え去ってしまうのではないかと、静かに問いかけているのです。
小さな露の命が、今にも終わりを告げようとするその瞬間、精一杯に輝き、しかし抗う術もなく自然の摂理に身を委ねていく姿は、私たちの人生のはかなさ、そして避けがたい無常観と深く響き合うように感じられます。
牧水は、この露の繊細な描写を通して、生あるものの短さ、そしてその中に見出すことのできる静かな美しさを、しみじみと私たちに語りかけているのではないでしょうか。それは、刹那の輝きの中に永遠にも通じるような情感を宿しているように思われます。

若山牧水は、自然をこよなく愛し、旅を好み、そして酒を愛した歌人として知られております。その歌には、旅情や自然への深い共感、そして人生の哀愁が色濃く表れており、特に「もののあはれ」の美意識、つまり、はかなく移ろいゆくものの中に深い情感を見出す日本の伝統的な美意識が、この歌にも凝縮されていると言えましょう。
「草の露」という極めて小さな存在に、生のはかなさ、そして避けがたい消滅の運命を重ね合わせることで、牧水は普遍的な人間の感情、すなわち、生あるものの宿命的な美しさと哀しみを表現いたしました。
風に揺れる露の描写は、人生における様々な出来事や感情の揺らぎ、そして時間という大きな流れの中で、やがてすべてが消え去るという静かな諦念をも含んでいるように思われます。牧水は、このような自然の微細な現象を通して、人生の真実を静かに見つめ、そしてそれを歌に託したのです。それは、激しい感情の吐露ではなく、むしろ内省的で、心に深く染み入るような哲学的な問いかけでもあるのです。