あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
あかね色に輝く光が射し込む、
紫草の生い茂る野を行き、
立ち入りを禁じた標(しめ)の野を行きます。
野の番人は見ていないでしょうか、
あの人が袖を振る姿を。

この歌は、夕焼けに染まる紫野の情景を背景に、ある切ない恋心が静かに描かれております。茜色の光が降り注ぐ紫草の野、そして立ち入りが禁じられた標の野を、あなたは歩いていらっしゃるのですね。その野の番人、すなわち人々の目を気にして、あなたは袖を振っていらっしゃいます。それは、誰かに気づいてほしいという願いと、見られてはいけないという不安が、複雑に絡み合った奥ゆかしい感情の表れのように感じられます。あなたのその袖振る姿は、まるで秘めた想いを風に乗せて届けようとするかのように、私の心に深く染み入ってくるのです。

この歌は、万葉集に収められた額田王(ぬかたのおおきみ)による一首でございます。天智天皇と大海人皇子(のちの天武天皇)という、当時の最高権力者たる二人の皇子に愛されたとされる額田王の、複雑な立場と繊細な心情が込められていると拝察いたします。特に、この歌が詠まれたとされるのは、天智天皇と大海人皇子が共に蒲生野(がもうの)で薬猟(くすりがり)を行った際の宴席であったと伝えられております。紫草の生える「紫野」や、皇族の私有地を示す「標野」という言葉は、その場が公的な意味合いを持つ特別な空間であったことを示唆しています。そのような場所で「君が袖振る」という行為は、誰かへの密やかな合図でありながら、同時に「野守は見ずや」と、人目を気にする額田王の不安が透けて見えます。それは、公の場における立場と、抑えきれない個人の感情との間で揺れ動く、額田王の孤独な心の叫びだったのかもしれません。見られてはならないと知りながらも、それでも気づいてほしいと願う、人間らしい切ない情念が、静かに、しかし確かにこの歌全体に響き渡っているように感じられるのです。