春の野の草の芽摘みて帰るさに
妹が手本を思ひ出でつる
春の野原で、
草の芽を摘んで、
帰り道にふと、
妻(いも)が草の芽を摘む手元を、
思い出しました。

春の野に一人立ち、やわらかな新芽を摘むその手つきは、きっとかつて、愛しい妻(いも)と分かち合った時間と重なったのでしょうね。
柔らかな日差しの中、摘み取った草の芽を籠に入れるたび、ふと、妻が同じように草を摘む、その繊細な手元が目に浮かんだのでございます。
それは、遠く離れていても、あるいはもう会えないとしても、心の中に深く刻まれた愛しい人の面影が、何気ない日常の風景の中にそっと息づいている証でございましょう。
春の息吹に触れながら、静かに、そして温かく、大切な人への想いを温め直しているかのような、しみじみとした情景が心に染み入ります。

この歌が詠まれたのは、大伴家持が越中の国守として任地に赴いていた頃のことと拝察いたします。
都から遠く離れた地で、春の野に一人立ち、草の芽を摘むという素朴な行為の中に、家持の深い孤独と、妻への切ない思慕が静かに込められております。
「妹が手本を思ひ出でつる」という表現は、妻の顔や姿全体ではなく、草を摘む「手元」という具体的な細部にまで愛情が宿っていたことを示唆しています。
日常のささやかな営みの中にこそ、夫婦の絆や愛の記憶が鮮やかに息づいていることを、家持はしみじみと伝えたかったのではないでしょうか。
春の訪れという生命の息吹を感じる季節に、遠い都に残してきた愛しい妻を思う心は、万葉びとの純粋で飾らない感情の表れとして、今も私たちの心に深く響くのでございます。
自然の情景と個人の感情が一体となり、普遍的な人の心の機微を静かに語りかける、まことに味わい深い一首でございます。