かたみこそ今はあだなる形見なれ
いかで見せむと人や問ふらむ
故人の形見こそは、
今はもうむなしいだけの形見となってしまいました。
(この世にいない故人は)「どうして(私に)見せようとするのか」と、
あの世から私に問いかけているのでしょうか。

この歌は、愛する人を失った深い悲しみと、残された「形見」に対する複雑な心情が、しみじみと詠まれております。かつては愛の証であり、互いの存在を感じさせるものであった「形見」が、今はもう、その持ち主がこの世にいないという現実を突きつける、むなしいものとなってしまった。その「形見」を前にして、作者は亡き人が「なぜ、もう私に見せることなどできはしないものを、そうして見つめているのか」と、問いかけているかのような幻影を感じ取っているのでしょう。失われたものへの尽きせぬ思いと、決して戻らない時間への諦念が、静かに胸に迫ってまいりますね。

この和歌は、『源氏物語』の作者として知られる紫式部が、夫である藤原宣孝(ふじわらののぶたか)に先立たれた後に詠んだとされる歌の一つでございます。平安時代中期、紫式部が夫を亡くしたのは、彼女がまだ若く、まさに人生の岐路に立たされていた頃でした。夫の死は、彼女にとって計り知れない喪失感と孤独をもたらし、その悲しみや無常観が、後に『源氏物語』という壮大な物語を紡ぎ出す原動力の一つとなったと言われております。この「かたみこそ」の歌には、愛する人を失った女性が、故人との思い出の品、すなわち「形見」を前にして、その品が持つ意味の変容と、決して埋められない心の隙間を深く見つめている姿が描かれております。故人を偲ぶ気持ちと、その故人がもうこの世にはいないという現実が、形見という媒介を通して、より一層、寂寥感を募らせるのです。この歌は、単なる追悼の念を超え、生者が抱える根源的な孤独と、時の流れがもたらす無常の響きを、静かに、そして深く私たちに伝えてくれるのでございますね。